研究者の道へと
誘った人との出会い
── | もう少し時間を遡って質問させてください。おふたりは少年時代、どのようなお子さんだったのでしょう。サイエンスへの興味はやはり幼い頃から強かったのでしょうか。 |
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平木 | 上の兄の影響は大きかったかもしれませんね。勉強でも遊びでも兄と一緒にいることで、同年代の友だちよりもオトナな感覚というのか、それを感じていたような気がしますね。勉強の面でいうと漢字でも九九でも、知ること、知識を得ることが喜びだった子どもでした。その点では研究者向きだったのかな。 |
クライネ | 私の場合は小さい頃から本を読むのとプラモデルが大好きな子どもでした。記憶に残っているのはジュール・ヴェルヌの作品ですね。ヴェルヌはSFの父として知られています。「80日間世界一周」「地底旅行」「月世界へ行く」などを幼い私は夢中で読みました。なかでも私の心をわしづかみにしたのが「神秘の島」でした。エンジニアの主人公たちがどこかの無人島に漂流するのですが、さまざまな困難をそのエンジニアが知識を駆使して乗り越えていく。たとえばマッチがない状態で懐中時計のレンズに水を貯め、即席のレンズをつくり太陽光を集めて火を起こすなんて具合に。幼い私は読んですぐさま同じことをやってみたりしました。それがエンジニア、サイエンスに興味を持つ大きなきっかけになりました。両親はともに教師で、私にも教職の道を目指して欲しかったようですが。 |
── | では次に、研究生活においておふたりが最も影響を受けた人物はどなたでしょうか? |
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クライネ | ドイツのアーヘン工科大学で指導を受けた教官ですね。彼はちょっと変わったタイプで、人をけっしてほめない人でした。現在の私の研究につながるカラーシュリーレン撮影はここで学びはじめたのですが、実はそのきっかけは少し変わっているんです。 |
平木 | 私の場合は、先ほども少しお話しした、この風洞設備ができた当時に出会った方ですね。いわゆる技術員のような立場で風洞の操作を一手に引き受けていた人でした。当時学生だった私は、彼の仕事から色々なことを学んだし、風洞実験の魅力をたくさん教えてもらいました。クライネ先生の恩師と同じく、あまり喋るタイプの人ではなく、むしろ「見て盗め」という昔ながらの職人気質の人でした。一日彼について実験を手伝うことで、「風洞はこう扱うもの」「こうすればこんな物が見られる」など、熟練の技、そして風洞実験の基礎の基礎を学んだように思います。この出会いがなければ、今、こうして同じ風洞で果たして私が実験をしていたかどうか。それくらい重要な出会いでしたね。 |
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