研究者の道へと誘った人との出会い|ユーザーズボイス04

眼に見えない世界を捉える
研究者の情熱

九州工業大学 大学院工学研究院 機械知能工学研究系准教授

平木 講儒

豪ニューサウスウェールズ大学 キャンベラ校准教授

ハロルド・クライネ

研究者の道へと
誘った人との出会い

──

もう少し時間を遡って質問させてください。おふたりは少年時代、どのようなお子さんだったのでしょう。サイエンスへの興味はやはり幼い頃から強かったのでしょうか。

平木

上の兄の影響は大きかったかもしれませんね。勉強でも遊びでも兄と一緒にいることで、同年代の友だちよりもオトナな感覚というのか、それを感じていたような気がしますね。勉強の面でいうと漢字でも九九でも、知ること、知識を得ることが喜びだった子どもでした。その点では研究者向きだったのかな。

クライネ

私の場合は小さい頃から本を読むのとプラモデルが大好きな子どもでした。記憶に残っているのはジュール・ヴェルヌの作品ですね。ヴェルヌはSFの父として知られています。「80日間世界一周」「地底旅行」「月世界へ行く」などを幼い私は夢中で読みました。なかでも私の心をわしづかみにしたのが「神秘の島」でした。エンジニアの主人公たちがどこかの無人島に漂流するのですが、さまざまな困難をそのエンジニアが知識を駆使して乗り越えていく。たとえばマッチがない状態で懐中時計のレンズに水を貯め、即席のレンズをつくり太陽光を集めて火を起こすなんて具合に。幼い私は読んですぐさま同じことをやってみたりしました。それがエンジニア、サイエンスに興味を持つ大きなきっかけになりました。両親はともに教師で、私にも教職の道を目指して欲しかったようですが。

──

では次に、研究生活においておふたりが最も影響を受けた人物はどなたでしょうか?

クライネ

ドイツのアーヘン工科大学で指導を受けた教官ですね。彼はちょっと変わったタイプで、人をけっしてほめない人でした。現在の私の研究につながるカラーシュリーレン撮影はここで学びはじめたのですが、実はそのきっかけは少し変わっているんです。
私が学生当時、カラーシュリーレン撮影はまだ過渡期で、モノクロの影絵タイプのシュリーレンに比べて画像もさほどきれいではなかったため、先生もあまり積極的に使おうとはしていませんでした。一方で機械、航空工学を学ぶ学生だった私は、カラーシュリーレン撮影に強い興味があり、何とかして研究したいなと思っていました。ただ先生がそういう考えでしたから、研究生としては勝手にはできなかった。
そんななか、先生が長期の出張で3ヶ月ほど日本に行くことになったのです。これはチャンスだと思い、私は先生のいない間に研究室でカラーシュリーレン撮影をいく度も試しました。もしうまくいかなければ先生に黙っていれば良いわけですから、私には何のリスクもないわけです。3ヶ月間、それこそ何度も試行錯誤を繰り返した結果、幸いにもきれいなカラー画像を撮影することに成功した私は、先生の帰国後に「どうですか先生」と自信たっぷりにその画を見せました。けれど先生の反応は「ふ〜ん、そう」程度。良いとも悪いとも言ってくれなかったのです。ところがそれから少しして研究室に海外の大学からの視察団が来ることになり、研究スタッフがそれぞれ自分の研究成果をプレゼンする機会がありました。私はそのカラーシュリーレン画像を見せ、どのようにして撮るかを紹介したのですが、何とその時に先生が「この撮影技法はクライネ君が開発したもので、おそらくこれからはこの撮影法が私たちの研究室の基本となっていくだろう」と言ってくれたのです。
海外からのお客様を前に先生がそう言ってくれたことはすごく嬉しかったし、その後、私がこの道を進んでいく大きなきっかけになったできごとでした。最初に見せた時にほめてくれれば良いのに!(笑)。多分、これがあの先生なりのほめ方だったんだろうなと思います。先生は今、すごく高齢でもう研究生活からは退いていますが、ドイツに帰った時には今でも必ず会いにいく、私にとって大切な恩師です。

クライネ先生の作品

「弾丸周りの衝撃波」

弾丸周りに生じる衝撃波のカラーシュリーレン撮影による可視化

 

「四角柱のエッジに生じる衝撃波」

四角柱のエッジに生じる衝撃波のカラーシュリーレン撮影による可視化

「ショックダイヤモンド」

超音速ノズルからのショックダイヤモンドのカラーシュリーレン撮影による可視化

※ショックダイヤモンドとは音速を超えるスピードでノズルから発生する衝撃波の膨張波と圧縮波が重なり光の強弱ができる現象。

平木

私の場合は、先ほども少しお話しした、この風洞設備ができた当時に出会った方ですね。いわゆる技術員のような立場で風洞の操作を一手に引き受けていた人でした。当時学生だった私は、彼の仕事から色々なことを学んだし、風洞実験の魅力をたくさん教えてもらいました。クライネ先生の恩師と同じく、あまり喋るタイプの人ではなく、むしろ「見て盗め」という昔ながらの職人気質の人でした。一日彼について実験を手伝うことで、「風洞はこう扱うもの」「こうすればこんな物が見られる」など、熟練の技、そして風洞実験の基礎の基礎を学んだように思います。この出会いがなければ、今、こうして同じ風洞で果たして私が実験をしていたかどうか。それくらい重要な出会いでしたね。