再び世界の頂へ
<ULTRANAC>発売から数年後の1990年代初頭、日本経済は後に平成不況と呼ばれるバブル経済崩壊の時代へと突入する。ハイスピードカメラメーカーとしてフラッグシップでもある<ULTRANAC>の存在意義は充分に認識しつつも、ナックは選択と集中から市場が限定されるウルトラハイスピード市場からの撤退、IMCOの経営からも離れるという苦渋の決断を下す。これを受けてリッチズは独立することを決断。別会社への転出や自身の会社であるIVV(インビジブルビジョン社)を設立するなど、目まぐるしい環境の変化の中においてもリッチズの開発意欲は決して衰えることはなかった。新型ウルトラハイスピードカメラ <ULTRA8>やイメージインテンシファイア(光増幅装置)<UVi>といった独自の製品を次々と完成させ着実に成果を形にしていった。
2008年、リッチズの元にイギリス政府から「<ULTRA8>をもう一度つくってくれないか」という話が持ち込まれる。「正直、過去に作ったものと同じものをまたつくることには乗り気ではありませんでした。つくるなら今、最新の技術を持ったものにしたい。そこで私は<ULTRA8>の設計を見直し、次世代ウルトラハイスピードカメラの開発を決意しました。ただし、この開発はIVV単独では難しく、特に光学系の設計でサポートが必要でした。いくつかの選択肢が考えられましたが、<ULTRANAC>でのパートナーシップがあるナックに話を持ちかけるのは自然な流れでしたね」
長い時を経て、リッチズから持ち込まれた共同開発の要請を、ナックはひとつのチャンスと捉える。それは『ハイスピードカメラ市場の競争が激化しているなか、最高難度の顧客向けの製品を再び持つことで市場におけるナックブランドの価値を高められる』という判断だった。
90年代半ばに一度は途絶えたウルトラハイスピードカメラの開発。世界最速域への挑戦が再び動き出す。
リッチズの設計は<ULTRA8>の技術をさらに高度化させたもの。レンズから入射された像をトンネル型のビームスプリッターを通過させ分割投影。イメージインテンシファイアの光電面上に12個のセグメントを設け、各セグメントエリアのゲートタイミング(シャッター)を制御することで撮影タイミングが異なる12フレームの像を蛍光面上に結像させ、それをソフトウェアによって位置補正を行い1フレームの連続画像として切り出すという形式。撮影速度は最大2億コマ/秒を目指した。
「<ULTRA8>で撮影できるのは8フレームでした。これをどう増やすかがひとつのテーマでした。というのもフレーム数を増やせば解像度が落ちてしまうからです。フレーム数と解像度の最適なバランス、それをナックとともに検討した結果が12フレームというスペックでした」
最高2億コマ/秒、12フレーム(実際の製品はCCDのダブルシャッター機能により24コマの撮影が可能)。世界最速域の機能を達成する肝となる技術はリッチズの得意分野であるイメージインテンシファイアであり、前述のように12個に分割されたセグメントに像を結像させることにあった。必要となるのが画像を正確に光電面の各セグメントへと導く光学系の精度。そこを担ったのがナックの光学設計開発、ものづくりの技術だった。
ULTRA8
レンズから入射された像を12個のセグメントに正しく送る。それを実現させたのがカレイド光学系という技術だ。ちょうど万華鏡のようにミラーを貼り合わせ、ミラーを経由し、最小5ナノ秒という速度でシャッターを動作させることで各セグメントに画像を結像させる。その際に重要なのがミラーの精度で、ごくわずかなズレも許されないほか、フレーム数が12枚に増えたことで発生してしまう歪曲収差を極力抑えるための精度が求められた。実際、この光学系部分の製造過程を見るとクリーンルーム内で顕微鏡を覗き込み、特殊な治具を使ってミラーを手作業によって貼り合わせている。製品には4枚のミラーが使われるが、そのミラー角度の誤差は1/180ミリ〜1/120ミリ内に抑えなくてはならない。
「リッチズの頭の中にある設計思想。それをきちんと製品に落とし込むことができる力。ナックの『きちんとしたものづくり』が彼のアイデアを形にすることに寄与したと思う」
柳自身はこの光学部分の製造に直接関わっているわけではないが、ウルトラハイスピードカメラ開発における『ナックの強みは何か』を聞くと、そんな「ものづくりの確かさ」をあげる。