“ものづくり”という姿勢|匠の技04

「“ものづくり”という姿勢」

「全周撮影のために80cmくらいのミラー設計をしたのが最初の仕事だったと思います。80cmのミラーに対して誤差+−10μmみたいな図面を書いて、先輩に『そんな精度のものがつくれるか』と怒られたのを覚えています。設計における誤差の許容範囲をどうするか、寸法公差って概念もよく分かってなかった。仕事をしながら“ものづくり”の基本を叩き込まれていった感じでしたね」
 
水野は1990年に入社、横浜工場の技術部へと配属される。この横浜工場はナックの歴史を語る上で、ひとつの大きなエポックとも言える存在だ。映画カメラのプロショップとしてスタートし、やがてサーキノ(全周映画)を撮影するための特殊カメラを自社製作するなど、ナックは「技術による差別化」によって映像業界に自らの場所を築いてきた。さらにこの分野で培われた技術は、後に科学技術分野へと応用が進められていくわけだが、まさにこの横浜工場での開発、製造技術の研鑽がそれを牽引してきたからだ。

ナックの製造開発の拠点・横浜工場

ハイスピードカメラMEMRECAMシリーズなど、多くの製品を世に送り出してきたことはもちろん、ナックでは研究者、技術者からの要望を受け、特定の用途に向けた計測技術・製品の開発も行ってきた。「エンジン内部の燃焼状態を見られないか」、「強磁場のMRIにカメラを入れたい」「非接触で熱源の温度分布を可視化したい」−研究者や技術者がその研究開発過程において抱く「見たい」「知りたい」という欲求に対し、映像計測技術のノウハウを最大限に生かして実現。その実績は“標準製品”と共に、科学技術分野、産業界においてナックの評価を高めてきた。

 

光学設計を専門とする水野は1990年の入社後、一貫して特注分野を歩む。これまでに国や企業の研究機関、大学の研究室などと共に、数々の特注製品開発を担ってきたが、その根底を流れるのは要望を必ず“形”にするという徹底した意思だ。

耐放射線仕様の光学系の設計も手がける

 

一見すると特注分野は、先鋭的な技術を扱うことから、ある種、研究開発的な仕事だと思われがちだ。だが誤解を恐れずに言うと失敗が許されるのが研究だとしたら、水野らの製品開発のミッションは「要望に確実に応えること」、「製品というアウトプットで技術者や研究者の要求にどこまで完璧に近づけるか」にある。
 
だから水野は自分の仕事をこんな風に言う。
「大切なのは技術的な裏付けをきちんと取ること。『できるかもしれない』ではなく『これならできる』という確信を持って進めなくてはいけない」