芝居漬けの学生生活、
そしてテレビ局へ
—— | その後、大学進学で上京されますが、この段階では将来の明確な目標などはあったのですか? |
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土井 | 広島の外に出たかった。その口実として東京の大学に進学するのはとても良い口実だった、ってことです。広島は嫌いじゃないし、大切な故郷。だけど一度そこから抜け出したい、外を見てみたいって思ったんです。当時は小劇場ブームで、野田秀樹さんの夢の遊眠社、渡辺えりさんの劇団3○○(げきだんさんじゅうまる)、柄本明さんの東京乾電池‥‥などたくさんの劇団が東京にはあった。広島にいる時からそうした情報は手に入りました。ただそれは活字などを通した情報でしかなくて、実際にはどんなムーブメントで、何が起きているのか、っていうのは地方の高校生には良く分からなかった。だからとにかく直接見たい、肌で感じたいって思ったんですよね。 |
—— | ということは、実際に上京されて演劇どっぷりの生活が始まったのでしょうか。 |
土井 | いや、最初の1年間はただのお客さんとして小劇場の公演を見て回る。周辺を外から見ているただの傍観者って感じでした。僕は早稲田大学の演劇研究会出身ですが、そこに加わったのは大学2年生から。1年生の時は「入りたい、でもどうしよう」ってずっと行ったり来たりを繰り返した感じです。 |
—— | 敷居が高い感じがした? |
土井 | 外から見ていても演劇に関わる人たちって、生活の中心は芝居。だからもし自分がここに入ったら、おそらく普通の学生生活じゃなくなるだろうな、と思ったし、「そこに自分は身を置けるのか、できるのか?」って自問自答を繰り返し、なかなか一歩を踏み出せなかったんですよね。 |
—— | 結果的に何が土井さんの背中を押したんでしょう。 |
土井 | 高校までっていろんな意味で守られていて、自分からアクション起こさなくてもある程度のものが与えられている。ところが大学って社会にでる一歩手前にあって、自分からアクションを起こしたり、飛び込んでいかなければ何も前に進まないじゃないですか。それに気づいて、「じゃあお前はどうするんだ」って自身に問いかけて、返ってきた答えが「人生は一度きり、やりたいと思ったならやってみよう」だったんですね。 |
—— | そこからは文字通り“芝居どっぷり”ですか? |
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土井 | ええ。それからは授業にも必要最低限しか出ませんし(笑)、バイトして、稽古して、公演が近くなればチケット売り、スポンサー探し、セットの組み立てなど、とにかく生活のほとんどが舞台のため、芝居のためにあるって感じになりました。 |
—— | そうした若い頃の経験は、少なからず今の土井さんをつくる一つの要素になっていると思うのですが。 |
土井 | サブカル的な世界に身を置いて、その空気に触れられた、それは素直に楽しかったです。芝居に没頭してそこから自分は何を学んだのだろう、って考えると、「正解のないものをやっている」ってことを知れたことが大きいのだと思います。今、自分が関わっているドラマも当時の舞台も、何か公式を用いて、決まった答えを導き出すのではなくて、その時その時、いろんな人とぶつかり合い、結果、毎回生まれてくるものが違う。舞台なんて同じ脚本、同じ演者、同じスタッフでも、毎日変わっていく。どれが正しい、どれが間違いではなく、そんな答えのないものを自分たちはつくっている、そういうものが世の中にはある、ってことを経験し、知ることができたのは、今の仕事にも何かしら通じているのだろうと思いますね。 |
—— | そのまま舞台の世界へ、演者、つくり手として関わるという選択は考えなかったんでしょうか。 |
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土井 | 将来は芝居の道へ、ってことを考えなかったわけではもちろんありません。ただある時「この世界で生きていける力が自分にはない」ってことに気づく瞬間があったんです。演じるということでいえば、周りには才能に溢れた凄いやつ、表現への欲求に満ち溢れている人間がいて、自分がそんな彼らに勝る何かを持っているとは思えなかった。何ていうんでしょう、この芝居の世界で「ずっと生きていけるだけの覚悟があるのか」と自分に問うても、自信を持って「できる」とはとても言えなかった。 |
—— | そしてテレビの世界を目指したと。 |
土井 | 「自分が自立しなければ」と思い、まずは社会に出よう、働こうと決めたわけですが、銀行や公務員という発想はないし、明確な目標も持っていない。だから僕は周りが就職活動を始めても、すぐには動き出せませんでした。そんななかテレビ局をはじめとしたマスコミは採用試験時期が他業界に比べると遅かった。それでポツポツと受け始めたのですが、どこも引っかからなくて、唯一TBSだけが一次、二次と進んで行ってなんとか内定までたどりついた。 |
* 1 久世光彦(くぜてるひこ)氏
元TBSのドラマプロデューサー。『時間ですよ』、『寺内貫太郎一家』、『ムー一族』など、テレビ史に残る作品を数多く手がけた。2006年没
* 2 山田太一(やまだたいち)氏
脚本家。『男たちの旅路』(NHK)、『岸辺のアルバム』(TBS)など数多くの話題作を手がける。1970〜80年代初めには倉本聰、向田邦子両氏とともに「シナリオライター御三家」と呼ばれたことも。