フレームの外にあるモノを撮る
── | 撮影所のシステム最後の世代であると同時に、英夫さんたちはデジタル最初の世代でもありますよね。フィルムからデジタルへの移行期。変革期と言っても良いのですが、それを知っている。生まれた時からデジタルって人とは当然違うだろうし、両方を知っているだけに、思う部分ってあるのではないですか。 |
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山本 | 言うまでもなく僕はフィルムで育ってきた世代。デジタル化が進む中でギリギリまでフィルムにこだわってきたし、今でもチャンスがあれば虎視眈々とフィルムでの撮影をねらっています。ただ一方で、フィルムからデジタルに移行する中間過程ってあるじゃないですか。アウトプットでデジタル化が必要だからスキャニングなど「アナログ→デジタル変換」が必要だという。その時に僕はそのワークフローをかなり積極的に研究した人間なんです。スキャンしたデータをどう扱えば良いのか。それぞれのフィルムとスキャニングとの相性はどうなのか。スキャニングを前提にした場合にはフィルム現像をどうすべきか、などと。だからその点では、デジタルに変わることに対する違和感っていうのはあまりなかった。その間で、散々デジタルと付き合ってきましたから。 ただ周りはけっこう大騒ぎでしたよね。キャメラマンで言えば、「デジタルが分からない」と尻込みしちゃう人もいましたし。実際、デジタルになっていろんな新しい機器が出てきたから、それに対応するのは大変って言えば大変なんだけど。僕はやってること自体、撮影に関しては変わらないって思っていました。 たとえばキャメラの使い方にしても、誤解を恐れずに言えば、それを覚えること自体はたいして重要じゃないんですよ。使っていれば自ずと分かってくるから。むしろたとえばCGとかね、新しいテクノロジーを1~100まで全部覚えようとするからかえって混乱しちゃう。全体の流れ、ポイントさえしっかり分かっていれば良いんです。デジタル化が進んで、作業が細分化されて色んな専門職ができた。だからそういう専門領域はプロに任せちゃえば良い。それは丸投げって意味じゃなくてね、ポイント、流れはしっかり理解して、こちらは方向付けをきちんと示せば良いってこと。ビジョンをしっかり持って、それを確実に伝えていくことが重要で。それがあれば、自分はそのビジョンに向けてどんな画を撮ればいいのか、次の工程に渡す上で、どういう撮影をすれば自分の考えていたアウトプットになるのかに集中すれば良いわけです。 |
── | 今お話し頂いたように、デジタル化が進むにつれ、仕事の流れは自ずと変わってくるじゃないですか。そうしたやり方が変わることが、つくり手の意識に影響を与えるってことはないでしょうか。 |
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山本 | デジタルへの移行で感じるのは技術よりも現場の空気の変化ですね。たとえば昔はモニタリングシステムなんてなかった。現場で撮ったものをすぐに再生して確認でき、不具合がないかがすぐに分かる。確かに便利です。ただ、今はほとんどのスタッフがモニター見ていて、フィルム時代にキャメラの周りにあった、“ピンと張りつめた空気感”がなくなってしまったような気がします。 キャメラのすぐそばに監督がいて、キャメラマン、助手はもちろん、その他のスタッフもキャメラのすぐ後ろで役者の演技を見ている。一点に視線が集中する、このエネルギーってすごいんですよ。現場のすべての意識が撮ってる画に集中するって感じが。もちろん役者に与える緊張感とかプレッシャーもすごかったと思うし、それらが画に力を与えていたようにも思うんですね。もちろん先ほど言ったようにモニタリングって便利だし効率的ですよ。ただ2次元のモニターに集中するのと、実際の現場で演技をその目で見るっていうのとは大きく違うんです。 フレーミングされたモニターに集中すると、モニターの外にある画ってものを感じられなくなってくる。そうすると説明的にモニターに映っていないものを改めて説明的に押さえる、いわばテレビドラマのような画づくりになってしまう傾向があるんです。もちろん映画だってフレーミングして画を切り取っているんだけど、そこに映っていない外の世界との連続性、映っていないものも想像させる画作りを心掛けるというのが映画。たとえば役者のアップを撮っているけれど、その周りにある世界観、空気を同時に感じさせる画を撮るのが映画なんです。それがモニターに集中していると、そのモニターに映っている中だけでイメージしてしまう。2次元で見えてしまうことで、逆にイメージも切り取られちゃう傾向がある。ちょっと抽象的で分かりにくいかもしれないけれど。 |
── | 一方で、機材の変化が撮影者であるキャメラマンの生理に影響与えるってことはありますか? |
山本 | デジタルだろうとフィルムだろうと画を撮るのは一緒ですよ。ただ質問のように、機材とキャメラマンの生理が合っているかというのが、デジタルを考える時の僕はひとつのポイントだと思います。 デジタルになってキャメラが小型化するとともに、ファインダーよりモニターが主体の製品が増えました。これが撮影者である僕の生理からすると違和感がある。キャメラに備わったモニターを見ながら画を撮っていても、僕は頭に入って来ないんですよ。もちろん撮ってる画はわかります。けれど先ほどの話にも通じるのですが、モニターの外が意識できない。それはモニターだけでなくファインダーでもそうで、昔からの光学ファインダーではなくて、ビデオの場合、ほぼ液晶ファインダーですよね。そうするとたとえば録音部さんのマイクの位置とか、ファインダー外の空間の情報がつかみにくい。だから液晶モニターを見ながらの撮影だと、動いている人物をパンするのがすごく難しい。感覚的にその動きが捉えきれないんですよ。「なんでなんだろう」って考えたとき、光学ファインダーで覗いていた時というのは、その切り取られた画だけじゃなくて、脳の中でフレーム外の情報も解析して空間をきっちり認識できていたからじゃないかと思うんです。それが液晶になると、なぜかその解析が上手く働かない。これも先ほどの話と通じる何かがあるように思います。 その点では、やはりキャメラマンからするとファインダーの性能向上を求めたいですね。光学ファインダーは無くなって欲しくないし、一方で液晶ファインダーが光学ファインダーと同等に違和感なく使えるレベルになって欲しい。デジタルと言うとセンサーの性能とか画像処理エンジンという方に技術の力点が置かれますけれど、キャメラマンとしてはファインダー、モニターにもう少し力を、と思います。 |
── | センサーの性能が良くなってきて、デジタル化では特に高感度領域での撮影の幅が広がっています。つまりフィルム時代に比べて照明の量が少なくても画が撮れるようになってきました。それは同時に撮影する立場からすると昔に比べて、かなり暗い場面での撮影も増えてきていますよね。 |
山本 | そうですね。フィルム時代には感度で言ったらISO500くらいが限度で、それにあわせた照明があったわけですが、デジタルだと平気でISO1200とかで撮影します。必然的に現場は暗くて、光学ファインダーではピントの精度を確認できないからモニターに頼る。ただモニターを見ての撮影というのが生理的にちょっとまだ僕には馴染まない。だからファインダーを何とかして欲しいって気持ちは強いですね。 |