- 1928年
- クリュニーの技術・職業学校を工学士として卒業。一年後、高等光学学校で光学エンジニアの学位を取り、そこでアンリ・クレチエン(後に、シネマスコープサイズのもととなる、アナモフィック・ワイドスクリーンプロセスの発明者)の光学設計クラスに学びました。
- 1930年
- P.アンジェニューは、当時フランスにおける映画界最大手のパテ社に入社。これが生涯をささげる仕事となる映画の世界への入り口となりました。後年、プロ用カメラや映写機のメーカーであったアンドレ・デブリー社と協働することになります。
- 1932-34年
- 母校の建物を間借りしASIOM社を設立。
- 1935年
- 写真と映画カメラ事業が順調に業績を伸ばしパリ市内の19区に工房を構えました。
- 1937年
- 会社は大きく成長しサン・テアンの学校に戻って第2工房を設置。これ以降、機構部品はパリで、光学部品はサン・テアンで製造することになります。 P.アンジェニューはこの頃、ジャン・ルノワールやアベル・ガンスなど、著名な映画製作者たちとの関係を築きました。
- 1938年
- 戦争中、スイスのピニオン社製”アルパレフレックス”一眼レフカメラ用の24x36mmフォーマットのレンズを少量生産。初期のレンズである50mm f/2.9とアルパカメラ用50mm/f1.8レンズには"P. Angenieux PARIS"と刻印。
- 1940年
- パリの工房を閉じ、全工程をサン・テアンに移しました。サン・テアンはフランスの非占領地域にあったため、彼の仕事は軍によって監視され、レンズの生産が困難になります。この時期、大半の時間を新方式の光学計算の研究に費やしました。
- 1946年
- 彼が新しく考え出した光学計算の方式によって、レンズ設計にかかる時間が従来の10分の1に削減されました。この計算方式は、光の総量ではなく像に関係のある光を主として計算することに主眼を置いたものです。
- 1950年
- スチル撮影用24x36mmフォーマットの広角レトロフォーカス・レンズの設計・製造を開始。広角レトロフォーカス・レンズは望遠レンズ設計の逆の発想から生まれた製品で、レンズの前部にネガティヴレンズ群を配置し、バックフォーカス距離を延長することを実現しました。最初のレンズはレンジファインダーカメラ用でしたが、その頃増え始めた一眼レフカメラのミラー機構部の空間を確保するために極めて有効な設計手法でした。
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アンジェニューのレトロフォーカス・スチルフォーマットレンズは、1950年に第1号のR1シリーズ35mm f/2.5レンズの発売を皮切りに、24、28mmレンズもラインナップされました。この後、R11シリーズ28mm f/3.5レンズが1953年に、R51/R61シリーズ24mm F/3.5レンズは1957年に発売されました。
一眼レフカメラにはミラー機構が必要なため、焦点面とレンズとの間に距離を確保する必要があります。例えば、ライカ・レンジファインダーカメラのフランジバック長は27.80mmであるのに対し、プラクチカ(Praktica)一眼レフカメラは44.4mmです。この差のために、従来のレンジファインダーカメラ用の広角レンズは一丸レフカメラには使用できませんでした。しかし、レトロフォーカス方式によりフランジバック長を確保した広角レンズが製品化されるようになりました。
一眼レフカメラでも広角レンズが使えるようになると、ドイツのイハゲー社(エグザクタ)、ツァイス・イコン社(プラクチカ、コンタックス)、スイスのピニオン社(アルパ)、イタリーのレクタフレックス社(レタフレックス)、日本のキヤノン、ニコンなどの名だたるカメラメーカーが積極的に一眼レフカメラを市場に送り出すことになりました。
アンジェニューは、1950年代にレトロフォーカスレンズを約45,000本製造しました。アンジェニュー製品に刺激され他のレンズメーカーも、35mm一眼レフカメラやそれに続く回転ミラーレフレックス映画カメラに使える広角レンズを次々と開発・製造するようになったと言われています。やっと最近になって、高性能な電子ビューファインダーのおかげで、フランジバック長の短いレンズが再び登場しています。 -
35mm一眼レフカメラ”アルパレフレックス”は1939年に登場。「アルパ(Alpa)」という名は、軽量でアルプスのハイキングやアイガー北壁登山でも簡単に携行できたからではないかといわれています。”エグザクタ(Exakta)”35mm一眼レフカメラは1936年に登場。 ”コンタックスS”は1942年にスクリューマウントとペンタプリズム付で登場。肉眼で見たままの正立像をファインダーで確認することができました。この10年後にキヤノン初の一眼レフが登場。1959年のキヤノンフレックスです。 尚、ピエール・アンジェニューは生涯を通じて、レトロフォーカス(Retrofocus)を商標登録しなかったことを後悔していました。
このほか、クック(Cooke Optics)社を忘れるわけにはいきません。クックのパンクロレンズ用反転望遠(Inverted Telephoto)設計のおかげで、(プリズムで3色分解し、3本の白黒フィルムに別々に露光する)テクニカラー方式の映画カメラプロセスが可能となりました。この方式のカメラのビームスプリッター・プリズム(レンズマウントとフィルムアパチュアの間に設置)は、初期の3板式ビデオカメラのそれと同じような構造であり、長いバックフォーカスが必要であったため、カメラ内部のスペースを大きく占有しました。元々の反転望遠レンズは、テーラー&ホブソンのH.W. リーによって造られました。(英国特許1930年12月、#355,452,)